「失敗」について
第二言語を学習する中での失敗は不可欠です。
失敗をしてしまったその時は、恥ずかしく感じてしまうこともしばしばありますが、失敗を経験することは物事の上達において大きな一歩となるので、と考えております。
私は日本に引っ越してきてから現在に至るまで、何度も日本語での失敗を経験してきました。
しかし、そのおかげで上達することができました。
今回は、恥を忍んで私の失敗を3つ紹介していきたいと思います。
2015年、私は大学に通うため、日本に引っ越してきました。
学寮での生活が始まる前に、山形に住んでいる友人に会いに行きました。
その際、二人の友人とドン・キホーテで買い物を終えた後、お昼ご飯の話になりました。
友人が私に「何系が食べたい?ラーメン、お好み焼き、そば?」と聞きましたが、友人の提案がどれもおいしそうだったので、私は元気よく「どうでもいいよ!」と言いました。
もう一人の友人は少し笑いながら「『なんでもいいよ』だよ」と私にそれぞれのニュアンスの違いを教えてくれました。「どうでもいい」と「なんでもいい」はどちらも英語にすると同じ”whatever”と訳せますが、友人に教えてもらうまであまり使い分け方がわかりませんでした。
少しのズレで意味合いが変わり、場合によっては失礼に聞こえてしまう。これは、別の言語を取得するうえで、多くの方が経験するであろう失敗だと思います。
次に紹介したいのはその数週間後のお話です。
日本語で軽い命令や指示をするとき、動詞の「て形」を使います。例えば「家をでたら、ちゃんと鍵をかけて」や「部屋を片付けて」という様な文章。
基本的に、日本語に不規則や例外などは少ないが、ない訳ではない。
例外の一つとしては、相手の行為に対し感謝を表す「くれる」という言葉です。
友人に直されるまでの間、私は会話で「それを取ってくれて」や「仕事が終わったら電話してくれて」という風に言っていました。
最後に紹介したいのは、私が質問をした時によくやってしまったミスです。学校では、疑問文の「か」の代りに「の」を使うこともできると習いました。
その当時は「の」と「か」は一緒なのだと勘違いをしました。そのため、「夜ご飯は何食べるの?」や「仕事は何時まで終わるの?」という聞き方をしていました。
何度も失敗を経験し、日々成長を感じています。恥ずかしさを乗り越えることが文化や言語を習得する鍵だと思います。